あんじーのたんタカ譚

京都の大学院に通ってました。ポケモンが好きです。

体調の異変って、嗅覚で気付く時ありますよね

こんにちは、あんじーです。

 

ジブリ作品が復活上映しているので、先日『もののけ姫』を見てきました。

 

小さい頃から見続けてきた作品を、スクリーンで見ることができたのは嬉しかったですね。

ジブリ作品の中で一番好きな作品で、内容もほとんど覚えてるつもりだったのですが改めて見てみるといろんな発見があるものですね。

 

もののけ姫の話題が出た時に、大体話されるのはモロの君のセリフ『黙れ小僧!』ってのだと思います。確かに有名ですし、予測変換にも出ますね。

しかし、今回見て何故か泣きそうになったのがその前にモロが言った『人間にも山犬にもなれない哀れで醜い、可愛い私の娘』って部分ですね。

 

この台詞で、考察ではないですけど、自分が今まで何の気無しにみてたこの作品を少し考えさせられましたね。日本語下手ですね。

 

この作品って大きな登場人物の区分として、人間と神(動物?)がいますよね。そしてこの作品はどちらの視点で見ても、どこかおかしいなと思えちゃうんですよね。

人間視点だと、自分達の益のために自然や生き物を蔑ろにする。神様視点だと、喋れるのに深く理由は語らず人間の話を聞かないで一方的に嫌う。それで、主人公のあしたかひこはどちらも共存の道を呪いを受けながら探すみたいな感じですね。

ここで、ふと思ったんですけど、この作品のタイトルって『もののけ姫』なんですよね。もののけ姫は、モロの娘のサンの事です。なんで、このタイトルなんでしょうね?なんて疑問が出ましたね。ここで、先のあの台詞ですよ。

もののけ姫は、神様にも人間でもない存在なんですよね。どちらでもない、いわば中立なんですよ、スイスですね。そのサンが、共存を目指すあしたかに対してどんな答えを出すのかを見て欲しい作品。もしくは、この2つの立場はどちらから見ても片方が絶対的に正しいとは言えないから、どちらでもない存在をタイトルにしたのかもしれませんね。

こんな事を、映画の後に考えててやっぱりいい作品だなぁと思いました。的外れかもですが。

 

改めて聞いてみると神様(獣)は、『人間』と呼ぶのに対してモロは『小僧』や『あの女』と言うように、個人を見ているんだなと分かってモロの好感度爆上がりですね。

 

こんなことに気づいたり、考えたり出来るようになったのは自分が成長した証です。しかし、どこか悲しくもありますよね。純粋に理由なく楽しかった、かっこよかったって感想が言えるだけの方が映画はいいのかもしれませんが、この作品が好きってことは変わらないです。

 

あと、サンは普段山犬と暮らしててお肉しか食べてないから、おなら臭いんだろうなって思ってしまったので、やっぱり映画は無駄に考察するような見方はしないほうがいいですね。前言撤回します。

 

ではでは。